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テレビは10年後、食えるのか?
ぼくがテレビ局を辞めて、今年で7年になります。先日、ふと懐かしくなり、古巣の局の採用ホームページを訪れてみました。その中の「内定者座談会」で、これから入社する学生さんが、自らの夢を語っていました。「報道で人に訴えかけるニュースをつくりたい」「お茶の間を笑わせるお笑い番組をつくりたい」「スポーツで感動を届けたい」これまでは、恵まれた待遇のもと、それぞれの夢が叶えられました。しかしそんな時代はそう長く続かないかも知れません。放送免許に守られ「最後の護送船団」とも言われる放送業界にも、いよいよ大変革を迫られています。いまや、多数の視聴者へ映像を同時に配信できるのは、放送局の専売特許ではなくなりました。放送局の変革を阻害するボトルネックはどこにあるのでしょうか。
テレビを取り巻く環境と、変革を阻む要因
50年以上、新商品が生まれない産業
シュンペーターは「イノベーションは創造的破壊から生まれる」と説きましたが、放送業界は今まで、イノベーションを拒み、先人の遺産を守る事を第一義に考えてきました。何か新しい事をしようとすると「前例がない」、トライアルでやろうと説いても「実績として残るからダメだ(トライアルとはいえそれが過去実績となり、スポンサーから今後も無理難題を言われるのがイヤだ)」というのです。「やってみようか!」とは絶対にならないのです。新商品を開発するのは企業であれば当然のことですが、テレビ局の収益の柱は15秒のスポットCMと30秒のタイムCMの2つだけ、それが50年位上変わっていません。
衰退する国内市場に100%依存
誰もが知っている事ですが、日本はこれから、子供が減り、労働人口が減る一方で、医療の発達とともに老齢人口が劇的に増えていきます。つまり、まったく誰も経験した事のない未曾有の「超高齢化社会」に突入します。一般に労働人口に属する人々は、ライフイベントのたびにお金を使います。就職でスーツを買い、結婚で披露宴を挙げ、出産を機に家を建て…と、大きな出費があります。いわば消費性向が強い層です。一方で老齢人口に属する人々は、サラリーマン時代の貯蓄と年金で生活する人々ですから、貯蓄性向が強く、特に大きな出費を伴うライフイベントもありません。
お金を使う人が少なくなり、そもそも人口が減るのですから、広告を打つ企業からすれば、これまでと同じ値段で広告を買う事は、まったく合理的ではなくなります。
わが国に超高齢化社会が訪れる事は何十年も前から分かっていた事ですし、だからこそ多くの日本企業は、リスクをとって、海外に打って出ているわけです。しかし放送局はそういったリスクから一切目を背け、自城に籠って打って出ることをして来ませんでした。
「ゆでガエル」。いきなり熱湯に放り込まれたカエルは、ビックリして飛び出すので死なないが、水に入れられ徐々にゆでられたカエルは、ぬるま湯がいつしか熱湯に変わっているのに気づかず死んでしまう。少しずつ縮小していく国内需要に100%依存する放送業界は、もしかしたら熱せられる鍋の中にいるのかも知れません。
その「上場」に意味はあるのか
もう10年以上前になりますが、フジテレビがライブドアに買収されかけた際、フジテレビを含む全ての民放局が「報道の公平性が損なわれる」とか、「放送局は公共の電波を使う社会的公器」などと主張しました。私は常日頃おもうのですが、もし報道の公平性や社会的公器を標榜するのであれは、自社の株式を公開するべきではありません。極端な話、株式会社という主体は、あまねく株主に対して未来永劫利益を出し続ける事を約束するものであり、経営者はその責任を負います。株式公開(上場)とは、その株主に「世界中のどなたさまがなっていただいても結構ですよ」という宣言を意味します。株主は、短期的な利益を求めます。多くの株主は、10年後にもしかしたら生まれる大きな利益より、確実に今期出せる小さな利益と配当を望んでいるのです。
どんな人に買われるかも分からない株式市場にみずから上場しておきながら、公平性だとか公器だとか詭弁を弄するのは、間違っていると思います。そもそも、本来上場とは株式市場から直接資金を調達するための手段のはずですが、放送局のいったいどこに、そんなに大きな資金需要があるのでしょうか。
強すぎる労働組合
新人研修の頃、突如として5名の労働組合員が入室し、組合への加入勧誘を行っていました。若干異常な光景でした。他にも会社の周りで街宣車を走らせたり、定期的にストライキをしたり。もちろん団結権は労働者に認められた当然の権利ですが、いくつかの大手放送局の場合その影響力が強すぎるがあまり、経営者が抜本的な改革に踏み出せないという状況があります。会社という船の底に穴が空いているのに、船長と敵対して待遇改善を主張しているだけでは、船もろとも全員が海の藻屑に消えてしまうというものです。
いびつな年齢構造
バブルの頃に大量採用し、その後の景気停滞にともない新卒採用を縮小しています。いっぽう、上述のように労組が強く、人員整理や給与の見直しなどができないので、どんどん年齢構成がいびつになります。社内に名ばかりの「課長」が大量発生し、「よく分からないけど偉いっぽい」肩書きが乱発されます。信じられない事ですが、日がな一日スポーツ新聞を読んでいて、年収1500万円以上もらっている40代、50代の社員もいます。数少ない若手社員が死ぬほど働き、働かないロートル社員を支えている構図といっても過言ではありません。
優秀な若者が、いつの間にか思考停止する
新卒、真っ白なキャンバスで入社する社員も、3年もいればすっかりそのカルチャーに染まります。ルールを疑わず、決められたルールの中で結果を出す社員が「出来る人」、ルールを疑ったり、違った方法をする社員は「めんどくさい人」。そうとみなす「空気」が企業そして業界全体を覆っています。そこに醸成される、心地よい同調圧力を伴った「空気」というのは、まさに名著「失敗の本質」が指摘した、日本帝国陸海軍や様々な大手企業が陥った罠そのもの。あれだけ高学歴で優秀な人材が集まっていて、なぜ何も変えられないのか?それは、組織全体が変化を拒む「空気」に染まっているからです。
寡占市場特有の利益<シェア体質
ビール会社や携帯キャリア会社も同様ですが、テレビ局も3〜5社の限られたプレーヤーが競争する「寡占市場」です。経済学ではよく知られた事ですが、寡占市場というのは自由競争市場ではありえない力学が働くもので、その最たるものが「シェア第一主義」です。普通に考えて、商品を売って損をするなら当然売るべきではないのですが、シェアNo.1獲得のため、売れば売るほど損をするのが分かっていながら、価格を下げてでも、シェアを獲得しにいきます。私も在職時は営業としてクライアント・広告代理店ごとの当社の「シェア」について上司から常に言われましたが、損益について言われた事は一度もありません。行き過ぎたシェア争いは、業界全体の収益を毀損します。ゲーム理論でいうと、こういうことです。
さまよえるローカル局
1970年代、郵政相であった田中角栄によって作り上げたれた電波放送の「県域免許」という秩序は、いまもまだ厳然と維持されています。「東京・大阪の情報だけではない。地域の人が、地域の情報を享受できなければならない」との大義のもと、各県に放送局が何十という数のテレビ局が新設されました。そしていま、多くの地方局が不振にあえいでいます。地デジ転換への投資や地元スポンサーの減少や大手スポンサーの大都市圏シフトが主たる要因です。先日とあるローカル局の部長が「最近は新卒採用でも内定辞退が出ることもある。昔では考えられなかった」とおっしゃっていました。放送局の将来を悲観する若者が増えている証左だと思います。
以上、だいぶ自分がいた業界をdisりました。
それはひとえに、元いた業界の若い人と話をしていて、危機感が無さすぎることへの歯がゆさからです。これから何十年とビジネスパーソンとして働いていかなければならないのに、あまりにも現状を楽観視しすぎではないかと思うからです。若く優秀な人たちが揃いも揃って変化を拒み、組織内の「空気」に染まり、権利ばかりを主張し、内向きな思考に終始しているのを見ると、悲しくなります。もっとリスクテイクして、秩序をぶっ壊して、外に出て行くべきです。こういう話を飲みの席ですると、たいていウザがられるので、ここにひっそりと書いています。
テレビ局が進むべき方向
ローカル局こそ、打って出る
一歩海外に出れば、系列がどうとかキー局とかローカル局とか、そんな秩序は一切関係ありません。大物芸能人を揃える必要もありません。純粋に面白いコンテンツが勝ちです。ローカル局にこそ、地域のコンテンツを活かして、積極果敢に海外市場へ打って出てほしいです。
外の血を入れる
日本企業全体に言える事ですが、テレビ局にも新卒至上主義・プロパー重視があります。もしこのブログをお読みのテレビ局員で「ウチは中途採用にも力を入れている」というなら、自社の新卒採用と中途採用のホームページを見比べてみてください。絶対に前者の方がコンテンツもリッチで、後者はページすらも無し、若しくはあってもお粗末なものだと思います。新卒至上主義、プロパー優先のカルチャーを、ぶっ壊すべきです。「よそ者・ばか者・若者」の登用こそ、発展のためにやらなければならない一丁目一番地です。
大規模再編とM&A
上述したような県域免許の秩序に縛られる必要はありません。県ごとに小さい放送局が林立するのではなく、系列を跨いだ合従連衡と企業再編によって、財務的に体力のある強い放送局をつくるべき、そして成長いちじるしいアジア諸国のメディア企業をM&Aで買収し、そこに投資を集中させるべきです。一般的に、一人当たりGDPが7,000ドルを超えてくると、自動車や高級家電の普及に拍車がかかり、消費市場として経済が成熟期に向かって行くと言われます。ASEANでは現在マレーシアが10,000ドル、タイが5,500ドル、インドネシアが3,300ドル。アジアのメディア市場は、まさにこれからが成長期です。日本のテレビ局の制作ノウハウは、細やかな作り込みや演出において世界に伍するものですから、日本の放送局は大胆な資本提携やM&Aで、海外に橋頭堡を築いてほしいものです。
吉田さん、
今年の春先に、経済誌「週刊ダイヤモンド」にて、現在のJR東海の名誉会長である葛西敬之さんのインタビュー記事が掲載され、国鉄の一介の幹部だった葛西さんが国鉄経営抜本改革を懸命に唱え、ついには国鉄の分割民営化実現を達成するまでの回想やそれに至るまでの核心や当時の国鉄や国労の内情を抉りだすコメントを多々語っていました。
今の日本の民放メディア、さらにはそれともたれ合ってきた新聞界やエンタテイメント界の体質って、30年前以上の国鉄末期の姿と相似形になりつつあるんですよね。葛西敬之氏が「週刊ダイヤモンド」誌のインタビューで語ったあまたの一言一句を、数えきれないほど現在の民放メディア界の体質に当てはめてモジリたくなります。キー局などの民放事業者では、この20年来、何かをきっかけに社内改革がなされながら、いつしか「掛け声倒れ」同然に終わってしまう事象が多数ありました。それもこれも、テレビ放送がメディアのトップ的ポジションの座にありつづけたがゆえの「おごり」がテレビ放送界のそこかしこで根付き続けたがゆえの事象なのでしょうか?おそらく近年は、労使が表向き対立しながら変なところで労使が安易に妥協している放送事業者もあるのでしょうか?
今こそ、民放界や民放事業者においては、葛西敬之氏と同様の抜本体質改革への志を内心に秘めた中間幹部、つまり「民放の葛西敬之」的な人物が誰か名乗りを上げ、放送メディア構造改革に取り組むべき必要性に迫られていると思います。