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イヤなら秒で辞める!ぼくがテレビ局を辞めたわけ
私が朝日放送を辞めてもう11年になります。早いようなそうでないような。
↑いまと違って青雲の志に燃えていた頃。
ぼくは2007年4月に入社して、まる3年経った2010年に辞めました。
当時を振り返って思うのは、もちろん良い事も沢山あったけど、「つまらなかった」ってのが一番です。ぼくの仕事はテレビ営業のスポットデスクというもので、テレビ局最大の収入源であるスポットCMを如何に効率よく売れば売上最大化できるか?そのプランを練る役割でした。こう書くと何だかかっこいい仕事ですし、実際、頭は使います。では何がつまらないのか端的に言うと、メーカーの場合、需要が伸びればどんどん増産すれば良いですが、テレビの場合は売り物=TVCMはどんなに需要があっても増産不能、24時間の中に入れられるCM本数は決まってます。数量を増減できないってことは価格を上げ下げするしかないわけです。これが爆発的につまらない。
CM枠残量を勘案しながら広告代理店と値段の上げ下げの交渉、これが仕事の90%です(残り10%は宴会での輝き)。広告予算の割り振りは、広告主から委ねられた広告代理店の「業推」という役職の人が一手に担っているため、毎日用事もないのに広告代理店に顔を出して、業推さまのご機嫌を取るべく、くだらない話をしたり夜接待したりする毎日。
本当につまらない、しかし残業とストレスは半端ない仕事でした。また、3年間ずっと後輩がひとりもいなかったため、コピーやお茶汲みや部旅行の手配等、大量の雑務がそこに乗っかってきました。土日もやれゴルフだ釣りだと連れ回され、勉強する時間が取れません。たまに奇跡的に早く終わったので英会話スクールに行こうとすると「英語なんか勉強してどうするんだ」と嘲笑される職場でした。
↑毎日帰宅がAM2時3時。自分が終わっても先輩が終わるまで帰れない日々。
テレビ局は少子高齢化する日本において国内市場依存度ほぼ100%、しかもビジネスモデルが半世紀以上変わってない。その現状を変えたいなと、「デジタル」と「海外」という新たな市場で挑戦してみたいなと、青臭い志で入社しましたが、ばかばかしくなって辞めました。めっちゃ良い会社でしたけど。
↑良い年収を捨てるのは惜しいなんて言う人もいましたが、FxxK OFF. 給料のために働いてるわけじゃないし、おもろない以上、微塵も未練はありませんでした。また、他でもっと稼いだる!という志もありました。
いまも日本のマスコミ始め大手企業には、有能なのにしょうもない仕事やしんどい仕事ばっかり任されてしまっている有能な若手が、沢山います。40歳代半ば以降の、大して働かないのに超高給な社員の分まで、彼ら有能な若手が稼ぎ出してます。でも彼ら若手が40歳代半ばになる頃には、その会社はおそらくかなり規模を縮小しているか、中国かどこかの企業に買収されているはずで、自分はしんどい思いだけして、良い思いは全く出来ないわけです。
敢えて言いますが、つらい事やつまらない事を、じっと我慢しながらやり続けることは全く、1mmの美徳でもありません。我が国で「忍耐」とか「我慢」が美徳とされたのは明治維新以降、国を挙げての富国強兵を迫られた、わずか150年前からのことです。江戸時代以前の日本人は、封建制度の中で移動の自由は制限されていたものの、その生活は驚くほど自由でした。
人生100年時代というけど、若い人の1日と老人の1日では価値が全然違う。そんな貴重な時間を、嫌な思いをしながら会社に切り売りする必要はありません。仕事がしょうむなくて成長を実感できないなら、秒で辞めるべき。
ぼくはこれまでの人生、イヤだな向いてないなと思ったら、全部途中で辞めて来ました。小さい頃の習い事は行きたくなくなったら全部辞めました。部活も先輩とか監督がアホだから途中で辞めました。防衛大も自衛官向いてないと分かったらすぐ辞めました。そして放送局もオモロないから辞めました。「忍耐力がない」「粘り強くやり抜く力がない」と揶揄する人も少なくなかったですが、自分の判断を心から誇りに思います。「辛いのは皆んな同じなんだから、粘り強くやり抜け」なんてのは、組織の側が自分のマネジメント力不足を棚に上げ、若手社員をむりくり組織に順応させるための都合の良い方便です。
「石の上にも3年」なんてウソです。イヤだったら辞めないと時間の無駄、自分がやりたい事、ワクワクできることをやるべきです。仮にそれで失敗しても、納得すれども後悔はしないはず。
さぁピンときたアナタ!われわれと一緒に働きましょう!!!(笑)
コメント失礼いたします。現在、某ローカル局でスポットデスクを担当しておる者です。日々の業務や、ゴルフ・酒席の多さ、年々縮小していく発注金額冬、様々な理由から退職を検討しておりました。なかなかスポットデスクに関する情報が少ない中で、こちらのページに辿り着きましたが、吉田様の記載されている内容があまりにも共感でき、感激いたしました。今は耐える時、私も周りのように続けなければと言い聞かせここまで続けておりましたが、吉田様の「つらい事やつまらない事を、じっと我慢しながらやり続けることは全く、1mmの美徳でもありません。」と言う言葉に、ふと肩の荷が降りたような感覚になりました。おかげさまで一歩を踏み出せそうです。意図されてないものとは思いますが、私にとっては大きな意味合いを持つ内容でしたので、コメントさせていただきました。ありがとうございます。